昭和50年06月25日 朝の御理解
御神訓 信心の心得一、「蔭と日向の心を持つなよ。」
信心させて頂く者の心得です。人が見て居るから見ていないからと云うので、所謂要領よくやる人の事を、あの人は蔭日向があると申します。そういう心掛けでは信心は進みません。ね。何故かと言うと、信心は神様が見ておいでになる、神様が聞いておいでになると云う世界に、愈々進んで行く事ですから。人は見ておりませんかも知れません。けれども神様が見ておいでになります。
と云う言うならば何時も神様を身近に頂くのですから、矢張りおかげになる筈ですね。信心する者は蔭と日向の心を持つなよ。よく私くしは思う事ですけど、この人は素晴らしいと思う事があるのです。なかなかおかげ頂かん。まあ人の話を聞くとあの人は親先生の前だけですよと、云う様な事を聞く事がある。親先生の前にはもう水も漏らさんごと言いよる、ね。親先生の前だけはもうピシャリやって行きよる様にある。けれども家に帰るとそれが乱れて来る。
そうではなくて裏腹、所謂蔭と日向とはそう云う様な心だと思う。ね。そこで私達の心の中に信心の歓び、有難いと云う心の状態が段々開けて来るとです、もう馬鹿らしゅうして蔭やら日向の心は持たれないです。ね。云うならば神様の心が段々分かって来れば来る程、それこそむしろ蔭の方、云うならば人の見てない所、そう云う所にこそ愈々力を入れて行こうと、云う様な心すらが起きて来るのです。
黙々として黙ってと云うかね、そう言う例えば人達の在り方に触れるときに本当に心が暖まります。そう云う心掛けの人ならばおかげを受けます。お徳を受けて行くです。蔭と日向の心を持つなよ、是は信心さして頂く者の心得なのです。愈々今合楽で言われる信行の大切さを思います。お風呂に入らせて貰う。タオルが綺麗にキチッと耳を揃えて掛けてある、石鹸はもう水を切ってキチッと整頓してある。汚れた所は洗い流してある。誰ぁれも見よらんのです。けれどもあの人後に入ったら気持ちが良い。
それを整頓好きの人が整頓すると云うのじゃないです。後から又誰か風呂を使われる人がね、気分が良うお風呂に入られる様に本当にお風呂は極楽と云うが、極楽の気分になられる様に、有難いなあと云う気分になられる様に、下駄一つを揃えさして頂くでもです、そういう心掛けが下駄を揃えなければ居られない、と云う事は決して下駄を揃える事だけではありません。風呂場だけの事でありません。銘々の部屋でも同じ事。
勿論自分の心の上にもそうであります。自分の心の上にそう云う整理が出来て居るか、整頓が出来て居るか、そこにすがすがしいとか有難いとか、勿体ないとかと言う心はそう云う心からしか、そう云う心の中にしか育たないのです。蔭と日向の心の人がです、まあ云うならばあの人ばかりは浅ましい人だと。人の見ておる時だけあげんむごうさっしゃるけれども、人が見て居らんとこう云うざまはない事さしゃると云う様な人がです、自分の心の中に有難い心を頂こうとっても頂けないです。
育たないです第一。喜びの種を蒔いても喜びが育ちません。昨日は関さん所の北野の謝恩祭で御座いました。あちらへ参りましてからすぐ頂いた事は、あそこの新築が出来た時に吉井の波多野さんが、お祝いに贈って居られる短冊掛けとそれに短冊があのう掛けられて、自分が作られた句を自分で書いて上げて居られる訳です。それにねこう云う句が出ております。「寿の髪結いにでる菊日和」とあります。 髪結いさんですから、だからまこう云う句を創られたのでしょうね。
パーマ屋さんのお宅ですから「寿の髪結いにでる菊日和」その菊日和と言うこの菊日和と言う所を頂くんです。皆さん菊日和と言う所を漢字に書きますと、菊の日和と書いてあると言う事は、日と言う事は日本の日と言う字ですね。それから平和の和と言う字を書いて日和と読みますね。菊と言うのはその合楽精神とも言われる。ね。合楽の言わば私くし共の心の中に咲く花はそれこそ菊の花の様に、な心の状態を何時も作って行こうとこう言う訳であります。
私くし共が言うなら寿の髪結いにでる、と言う事は寿と言う事は目出たいと云う事、有り難いと云う事、髪結いと言う事は自分のいわゆる信心の神です。自分の心の中に信心の神を結い上げる。ここに稽古に通うて来るとおっしゃるのは言わば、日々乱れておる髪を解きながしすきながし、そしてそこに自分の思う様な髪を結い上げて帰る、と云う事が信心の稽古なのです。
御神前に私くしが・・書かせて頂いておるのがこう額に上がっております。それには「徳積みて栄える家や菊の花」とあります「徳積みて栄える家や菊の花」ね。徳を積まずして栄えておると言う家はもう哀れです。反って子供やら孫やらが迷惑するです。徳を積まずに只我情我欲と言うバイキンが付いておるボタモチを与える様なもんです。是りゃもう本当にそうなんですから、自分の周辺を見て御覧なさい、只我情我欲で儲けでぇたと言うて、成程城の様なお家が出来た立派なお庭も出来た。
けれどもそこの内容をのぞいて御覧なさい。あれだけに何処に不足があるだろうかと言う中に、言うなら人間関係や々な病気の事やらで難儀が耐えません。ね。それこそ長者三代なしと言った様な例に漏れない結果になっております。徳を積んでそして栄えて行くと言うならば、親の代よりもこの代と言う様に栄えて行くのです、どうでも徳を積んで行かにゃいかんのです。ですからその徳を積むと云う事がです、本当の栄えのおかげを頂く事の為にですね。
所謂この「菊日和」の心を何時も持ち続けて行くと言う事なんです。何時も自分の心の中には和らぎ喜ぶ心、ね。が自分の心の中にはある、そう言う心の状態の上に、私くしは陰と日向の心を持つなよと言われる、持てれる筈がないね。所が私くし共がそこん所をです疎かに致しておりますから、遂自分の心が有難いとは反対の事に成って来る時に、いらいらしたりもやもやしたり、又は陰と日向の心と言う様な自分で気付かんなりにそう言う行いをしておる様な結果に成って来るのです。
今日私くしは御神前で、最近御霊様の働きと言う物は、銘々の為に働きが出来るので銘々の為に、愈々御霊の位の進まれる為に精進されるのであって、御霊と言う物はもう例えそれは高徳な先生であっても、それを教会の為とか信者の為とか家族の為に働きを掛けなさる事は出来ないと云う事。出来ないのに、私くし共がどうぞ初代の親先生お願いしますと、言った様なお願いと言う事はもう大変なそれは霊様としても、もうそれこそ苦痛な事であるという事むしろ。
まそう云う様な事を私が四、五日前にね、爆弾発言と言った様な時、様な言葉を使ってその事を申しました時に、それ以来私は本当に霊様が今愈々感謝を捧げるものだと云う孤とです。只霊様には只喜びをこちらから送って上げると云う事です。喜びに言わば飢えて居る霊、安心の霊ではなくて不安焦燥の御霊、そう云う例えば霊達に喜びと云う糧を送ってやる事なんです。そこに云うならば、霊の世界がです生き生きとして来るのです。ね。今迄立ちも切らなかった様な人が立ち上がる様になるでしょう。
そう云うもう這も立ちも切らんごたるとに、幾らお願いしたっちゃ出来る筈がないじゃないの。例えばんなら高徳な先生方のなら霊様でも同んなじ事。だから私くしはお取次を願うと言う事は別です。言うなら霊の世界でです、矢張り金光大神のお取次ぎを頂いて、信心の稽古を生まずたゆまず、矢張りなさっておられる御霊様達もあります。けれども御霊様そのものには力はないと云う事。
そう云う様な事を申す様になりまして、その事に就いて霊様にも只感謝だけを、云わば捧げておりましたら頂くのがね、杉村春子と頂きました。杉村春子と云うなんか女優が居りますね。杉村春子と云う事を頂いた。これは松が賑やかであるというならば、杉は淋しいと云う時に表現に頂きます。云うならばです杉の村に春が来ると云う感じが致します。ね。杉の村に春が来る。淋しい村に春がやって来る。訪れて来る。春と云うのはこりゃ暑くもなからねば寒くもない、周囲には色とりどりの花が咲く。
言う事がないのです。頼む事がないのです。そう云う私はおかげを頂きたいです。私くし共の心の中に、それこそ春の海原の様なゆったりとした心の状態、春の野山に言うならば若草も萌え花が咲き小鳥がさえずると云った様な心の状態がです、頂けて来るおかげを頂かせて貰う。是は霊様の世界だけではなくてくし共の世界にもそういう世界の訪れて来る事を願いとしなければなりません。
それが合楽で云われる和賀心時代を創ろうと云う事なのです。そこで私くし共が自分の心の中に愈々焦点が置かれねばならないと云う事がです、蔭と日向の心を持つなと云った様な、信心が身に付いて来なければいけません。精進しなければいけませんそりゃね心が言わば豊かであり、それこそ菊日和の様な心の中にそう言う心の状態が開けて来なければです、勿論自ずとです蔭と日向の様な心なんかは影を潜めて仕舞います。
所が私くし共はそうとばかり行かない所に、はあ今自分がして居る事は行うておる事は蔭と日向の心だ、こう云う心があっては救われないんだ、助からないんだ。徳を積んで行く事は出来ないんだと云う風にです、自己反省が必要になって来るのです。昨日宅祭が済んだ後ででした。たまたま今福岡から西畑さんが、あー西畑さんじゃない、何とか西原さん、西原さんが毎日日参して参ります。
私と同年寅年です。とても若かったんですけども最近はんしん不随でちゅうぶうになられましてね、それで体が少し不自由であり同時に又こうろれつも少し回らんと云った様な。まあ例えばこの方の話をしますとね、もそれこそもう大変な難儀、それこそ男泣きに泣かんならん様な問題があったんです。それがお導きを頂いて、安東さんがまだ 福岡に居られる頃ですから、時々飲みに行かれる食堂ですから。そしてその安東さんにその悩みの一端を話された。
そりゃどうでん私どんが参りよる合楽に参んなさいと云うので安東さんのお導きで、参って来られる様になった。そうですね百日位参って来られたでしょうか。もうさしもの難儀な問題が見事に解決したんです。まあそれからと云う物は、もう夫婦の者がそれこそ力を揃えて食堂、やよい食堂と言いますがそれこそやよい食堂の上に、本当にスムーズなおかげを頂、此の頃から義理の娘さんの結婚式をここでなさいましたが、もうこの問題なんかでもこう言う様な事になって来る。
夢にも思わない様な結果になって来たんです。三ヶ月くらい、三ヶ月ですかね、前の十三日会の日に夫婦で参って居られて帰りにスピード違反で捕まって仕舞った。そして何月何日に出頭せよと云うま警察からの通知があった。その日に倒れられただから警察に行けなくなったんです。そして一月あまりをおかげを頂いとられる内に、おかげでまぁ自分で自分の自由が出来られる様になって、そして又十三日会にお参りになりました。
その時には少こうしまだそのお話は出来ませんけれども、体が不自由ですけれどもお参りをされて、まぁ自動車の運転がまぁどうやらこうやら出来ると言うので。そしてその今日お届けがあっとりました。もう一月前に呼び出しが来とったけれども、こう言う状態でしたからと云う訳を言うて警察にやらせて頂きます。警察ですかねあれは自分に呼び出されておる所に行きますからと云うお届けがあって居りました。
そして帰られたが帰りがけに又捕まえられなさった。またスピード違反げな同じ事、云うなら二つ重なった訳です。そう云う時の例えばその西原さんの頂方ですか、これはお母さん十三日会の日に次々とこげんして捕まると言う事は、これは只事じゃないばいち云うことであった。十三日会と云やぁ合楽では神様の願いが成就する日とさえ言われる日にです、もうお参りしよってからまぁ罰金を取られる所じゃない。又罰金と勿論だから運転免許は取り上げられた訳です。
だからその翌日から今度は電車とバスを利用して福岡から毎日お参りになる様になりました。毎日参って見えます。皆さん最近ですね、あの人達の信心を見てからですね、別にお神様がお祀りしてある訳じゃないけれども、兎に角大変気短でその為に子供やら家内が大変難儀をして、そこから難儀の発端はあったんです。合楽にお参りさせて頂く様になって、あちらは非常にその歌が上手です。小唄とかね端唄なんか、そりゃもう堪えんごたる唄い方をなさいます。
それだからだろうと思いますけどね、御理解にその都々逸の文句で頂いたんです。私はそれを書いてやったんです。「ままにならぬとまま鉢投げりゃ、そこらあたりはままだらけ」それを頂かれた時、もう押し頂いて喜ばれました。今までは本当に親先生、ままにならんと云えばまま鉢投げる様な事をして、辺り近所はもうままだらけになって、誰も彼も自分の周囲にはもう寄り付かれない様な状態であったのに、信心を頂く様になって是はもうそれこそ守り札としてと云うて、それを貼ってお祭りをしておる。
そして別にお神様をお祀りしてないけれども、お榊を上げたり御神飯を上げたりしてある。昨日はあのう諌早ですか、の教会の方と云う方が大橋に今、福銀か何かに今勤めて居られる。そしてその方がそれを見てからあれは何ですかと云うて言われた。私しはあの合楽の金光様にお参りして居る。矢張りあの合楽の事を知って居られた。やっぱり私はどうでんこうでん連れて参って下さいち、そんならもう今日でも良いですよ。
私は毎日日参さして貰いよるからと云うたら、なら私が自動車を持ってくるからと云って自動車をその方が運転して参って見えました。その二、三日前には或教会にお参りしとった。所があまり何か諍いがあってから参られん様になった。で久振りにお参りさせて頂いたら教会に婦人会の人達の名前札が掛っとった。所が自分のとだけこうひっくり返しちゃった。だからもうそれっきりお参りしない様になって一年余りになります。
そこにあのう西原さんの話を聞いて、どうでもこうでも連れて参ってくれと云うて、連れて参って見えた。それから昨日一昨日の月次祭にもやっぱりお参りしとられた。と云う様にあの人達夫婦の信心を見て人が連れて行ってくれと云う様にです、云うなら心が和らんで来たと云う事なんです。私はその位なね、人から気が付かれるその位なおかげは頂かにゃいかんです。はぁあの人は金光様の信心はするばってんと云う位なこっちゃいかんです。心が何時もそれこそね、おかげを頂かねばいけません。
昨日その所の話を久富先生がなさった。西原さんが参って来なさると一遍そこで(御神前)で御祈念してから此処へ(御結界)出て来なさいますもんね必ず。そして此処のその敷居をこうやって撫でさすりしなさいます。そして自分の体をこうやって撫でなさる訳です。あげな事せんな親先生の体どん擦るならまあだおかげ頂く所へを言いなさったけんで、そりゃ向こうは良かろうばってんこっちは迷惑ばのとちゅ云うた事でした。
痛かとことか悪かとこでんさすって貰うならよかばってんですね、てんで体をこうこうやって撫でられるなら、そりゃ西原さんのさっしゃる事私の体どん擦って貰うなら何処でんでけん(皆さん笑い声)と云うてまあーから話した事ですけどね。そういう例えば事ででもおかげの頂けれる神様です。当時日本一と云われた大阪の玉水教会の門柱が立っている、それに八っ波の御紋章が掘ってある。
もうそれが手垢でもう真っ黒うなってしまうそうです。それで撫でちゃならんと書いとってもその紙を引っ裂いて撫でて行くそうです。あちらは商売人の町ですから仲々忙しか、お広前まいやぁ上がられん。それでこっちからお賽銭投げといてからですね、そしてから済んだっての御紋章を何遍か撫でて行きゃおかげになると云う迷信ですけれども、そりゃー迷信とんばっかりは云われないと私しは思うです。
その思い一念です。だからそういう例えば、おかげを頂かせて頂けれるのですけれども、昨日の御理解じゃないけれども、賃を取ってする仕事はね。若い間は人が頼んでも呉れるけれども、年を取ったら頼み手がないと云う様に、只撫でたり擦ったり位でです、おかげを頂くとか水を被ったとか、毎日日参をしたとか位だけでおかげを頂くと言うおかげは、賃を取ってする言うならばおかげと同し事ですから、段々年を取って行くに従って淋しゅうなって来る。
そしてそのう昨日お話したそのおばあさん事ではないですけれども、若い時にゃこん位な問題は兎に角一生懸命修行でもしてお参りしたらすぐおかげ頂きよったばってん、この頃年を取ってそげな修行も出来んけん、おかげを頂けんごとなったと云う結果にしかならないのです。ですから信心して居れば一年一年有難うなって来ると言う信心なのですね、その一年一年ね、言わば年を取って行くに従って、云うならば位が付いて行く。
一年一年有難うなって行くと、云った様な信心を身につけて行くと云う事の為に、私くし共が今日の御理解じゃないけれども、蔭と日向の心ども持つ様な事ではいけないと云う事。所が私くし共の心の中には、蔭と日向の心があると云う厳密に云うと。それは結局私くし共の心の中に菊日和の心の状態と云うものが、少ないから無いからだと云う事になるのです。もう本当に私くし昨日あちらから、あのう寿子さんが子供を、小さい子供を連れてから迎えに来て呉れました。
そしてなら私くしとあのう幹三郎参りましたから乗りました、所がその子供が泣いて運転しようとするけれども、こうしがみ付いてからもうそれこそ、ワンワン云うて泣きますもん。それけん私しが幹三郎に運転ばさせなさいと云うて、あんたこっちに来なさいと、いいえとこうこうしよったけど、てんでこうやってハンドルの方へしがみ付いて来ますもん。こげなこっちゃ危なかけんでそうしたらもやもやしてから、バチッと子供を叩きょります。だからそりゃそうにゃ忙しい事じゃったじゃろう。
今このお祭りにあちらの岡山の方へ行っとります弘子さんと云う娘さんが、小まい子供を連れてお祭りを拝みに来とられます。自分の子供はまぁだそげん小かつに、まぁ一人赤ちゃんがおって、その狭い所にお祭りの準備しよるとに、三人の子供がその手を取る訳です。それさえ親先生は迎えに行かにゃん、もう四時半は過ぎた。五時もなったもうそうしてギリギリでやって来た訳です。そして一人は連れて来にゃ家がどんこん出来んもんじゃから、連れち来たのは良かったけれどもてんで泣いてどんこんされんね。
ですからそう云う時がやっぱりお互いある訳ですよ。ね。子供でも叩かにゃ居れん事ある時が、それこそ子供こそ迷惑なもんですね。それこそ親の犠牲ちゅうなそう云う時こそ親の犠牲になるとじゃろうと思う。ですから本当にそれから、とうとうあのう幹三郎が堪り兼ねてなら僕がしますからと云うて、それから後に乗られたらケロッと泣き止みました。それで幹三郎が紋付袴を付けたままであのう運転して参りましたがね。
私くし共がそれがね、日頃はそうでもないごたるけれども、心の中にそう云う物が在る証拠に、そう云う場に臨んだら出て来ると云う事です。だからまぁだかき混ぜられたら、そう言う物がでる。いやぁもうこの頃有難い有難いち言いよるごと言いよるばってん、結局ですまぁだそこにある証拠に、愈々ちゅう時に出て来るのであってはいけんのですから、そいが出て来た時に、はぁまぁだ自分の心は蔭と日向の心があるからこうな事だと言う風に悟らして貰うて。
愈々徳を積んで栄える家や、菊の花じゃないけれどもね、そういおかげが頂きたいならば愈々徳を積んで行かなきゃ行こうと云う願いを立ててです、自分の心が杉村春子から言うならば松村春子と云った様な事になって来なければいけません。そこにはです、もうそれこそならね、年を取る程信心には位が付くもんであり、一年一年有難うなって行くと言う様な年を拾うて行くならばです、もう頼むことも願う事も無くなって来る訳なんです。昨日私くし遅く帰らして貰いましたら。
一番口に家内が、今日は先生お婆ちゃんがね、あのうお粥を少し食べて見たいと言う、それからおうどんを少し頂きたいちゅう。ちょっとおかげを頂いてからちゅうて、それ一番に申しましたがです。それこそ私くしの母がです、それこそ一年一年有難うなって、ああして寝ながらでもなら信者さんの事をやっぱりあのう祈っとるのであろう、色々尋ねたりする所を見ると、兎に角自分はもう明日おも解らん状態でありながら、兎に角人が見えると先ず合掌を致します。
そして何日振りかじゃあるが、そしてお食事がいける様になったと言う。例えて云うならばそれこそ春の世界に住んで居る様な物じゃないでしょうか。痛いもなからなきゃ痒いもない。只もう段々体が衰弱して行っているのですけれども、そういう中にあってなら少し食欲が出たのでしょう。皆が喜ぶようにオサジ何杯か頂いた。云うならば言わば暑くもなからねば寒くもない。願う事が無いのです。
もう私し家にはもうそれこそ花がね咲き乱れておる様な中に、住まわせて頂くと言う様なおかげを頂くためにですよ、お互い愈々本気で信心の稽古の焦点がね、我が心の中に菊日和のおかげの頂ける様な信心。それには先ず私共の心から蔭と日向の洋な心を取り除かせて頂く。信心は日々の改まりが第一と仰せられるのですから、愈々改まらせて頂いて自分の心の中にそれこそ菊日和の様な中に髪を結い上げて行く、信心を結い上げて行くと云う様なおかげを頂きたいですね。
どうぞ。